2004年08月25日

野口選手のインタビュー

見た?

「ゴールテープを切った時、どんな気持ちでしたか?」

”あぁもう感動です。本当にありがとうございます。”

関を切ったように泣き出しながら言ってたね。

何度見ても泣いてしまう。あぁおめでとう。  

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2004年08月22日

文章の力

外国人記者を前に「僕の名前は奥村です」と自己紹介し、「このチームで戦えたことを幸せに思う」と感無量の面持ちで話した。「みんなと力を合わせてメダルを取れた。価値あるものだと思う」。その隣で、北島選手らチームメートがうなずいた。

オリンピックを映像で見るのはやっぱり最高にいいんだけど、それを文章で記事として伝えられるのもまた感動する。

日々いろんなことを感じたり思ったりするけど、それが的確に言葉にできることは少ない。
オリンピックの感動が記事で文章化されたとき、あぁそうだよね・・・とまた感動してしまうのは、自分の気持ちをその記事が代弁してくれているからか。

オリンピック関連の記事を読むこともまた一つのオリンピックの楽しみ方だなぁと思った。

時事通信社  
Posted by nao_hiko_ at 14:49Comments(0)TrackBack(0)

2004年08月20日

手紙

5b27eb02.JPGマニラで1週間を共にした友達からありがとうの手紙が届いた
手作り写真集とCDが一緒に入ってた。
すごいなぁ。
本当に嬉しい。
久々にこんなに嬉しいよ。
こちらこそありがとうだ。
とても素晴らしい時間を送れたことに感謝してるよ。
大切にします。  
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2004年08月19日

ハングリー精神と限界

自分はかなり恵まれた環境で育ってきた気がする。

理解ある両親に育てられ(喧嘩もたくさんするけど。)
中学受験は前評判をひっくり返して第一志望に合格し
都内の私立で中・高。勉強は中の下くらいだけど、特に苦労せず
クラブ活動にも熱心に取り組み
大学受験は単願で追い上げ滑り込んで
大学では大切な仲間や友達に恵まれ
人並みに恋もして
自分の好きな勉強を素晴らしい仲間と一緒にできて、外部のコンペでも結果を残せて
就職活動も楽しんでいるうちに終えることができ
最後の学生生活も親に借金しながら充実している

もちろん苦労がなかったわけじゃない
受験ではいつも塾や予備校の日々だったし
部活の練習も進んで厳しくして
大学に入っても自ら手に負えないほどのハードスケジュールを組み
研究活動にも何度も学校で残留(徹夜)して取り組んだ

でも決定的な挫折というものをあまり味わっていない。
もしくはあまり覚えていない。
あえてあげるとすれば大学の自己推薦入試で2回連続で失敗したこと、キャパシティオーバーで大切なものを投げ出してしまったことくらいか。
そして今も後悔し続けているのはその後者くらいだ。
後悔しつつもあの時の自分ではどうしようもなかったとも思っている。
全体的に見れば階段を自分で作りつつ順調に上ってきた。
そして今にある程度満足している。

人は大きな挫折をしたときに、もがいて苦しみながらも、そこから何かを拾う
そして以前よりも大きく成長する
もしくは広く、大きくなる
それが心の広さになり、ハングリー精神になる

俺にはそれがない。
ないことはないが少ない。と思う。比べたことはないが。
ギリギリの状況になったとき、それが仕事であれ人間関係であれ、そこに限界がある気がする。

なんていろいろ考えたけどまぁいいやー!
限界が見えたらそこがまたスタートだっ!
今は行ける所まで行ってみよう
まる。  
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逃げられない

オリンピック勝ってるときは見てて楽しいけど、負けてるときはあんまり楽しくない。
強い日本が見たい。
と素直に思う。

でも俺や親父が「もうだめじゃーん」とか「しっかりしろよー」とか勝手なこと言ってても、選手はほんと踏ん張ってるわけで。
こっちはチャンネル変えれば現実から目を背けられるけど、彼らは何が何でも直面しなきゃいけないわけだ。
例えもう負けると分かっていても。
どんなに絶望的でも。
最後の最後まで歯を食いしばって踏ん張るしかない。

と思ったら、せめてチャンネル変えないで応援しようと思った。
最後までね。

うーん寝不足。  
Posted by nao_hiko_ at 02:50Comments(0)TrackBack(0)

2004年08月18日

オリンピック

いやぁ熱いね。熱い。
柔道見ましたか?

まず横澤の準決勝。
対戦相手のサボンは実績も実力も一枚上手。
実際試合運びもサボンがリードしてたわけですよ。
ところがどっこい最後1秒で横澤が背負って投げてしまった。
一本勝ち!

そして今日のノソフ。ロシアの選手。
準決勝で左腕を痛めて。
当然棄権するだろうと思ったらなんとでてくるじゃないか!
大丈夫なのかなと思ってたらやっぱり左腕が動いていない。
引き手を全部切られて、技もろくにかけられず。
結果指導ばかり増えていって窮地に追い込まれて。
でも彼はあきらめなかった。
一瞬のチャンスに動かない左手を無理やり動かして渾身の力で投げた!
一回解けかかったのに、ここしか勝機がないと知っていて投げた!
でもぎりぎり一本にならんくて技あり。
最後必死で時間を稼ぐ。
でも指導をもらったら負ける。
なんとか左腕を動かして攻めようとする。
何度も投げられる。耐える。
そして時間!

彼は叫んだね。
左眉の上を切って、血だらけになりながらも叫んだ。
ほんと感動的だった。

他にもたくさん感動したところはある。
野村の3大会連続金。
内柴のオール一本勝ち。
谷亮子の2大会連続金。
谷本の金後のインタビュー。
水泳の彼のインタビュー。

オリンピックはいいね。
彼らががんばる数分間って、それまでの何千時間がつまった数分間じゃない。
それは相手もおんなじで。
すごく密度の濃い時間だと思う。
ほんと光るような時間だと思う。
そこにたくさんの想いがつまってて。
やっぱり感動するよね。

たくさんのパワーをもらってる。オリンピック。
がんばれニッポン!がんばれ世界!  
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2004年08月16日

偏頭痛

持病がある。
その名も偏頭痛。
意外と普通によく聞く病名だけど、結構これがつらい。

俺の場合、偏頭痛はいつも左目から始まる。
左目の視野左側20〜30%くらいが見えなくなり始める(白いもやがかかる感じ)
でそのあと両目が徐々に痛み出して、その痛みが目の奥に移動する。
それと共におでこあたりが痛み出して、こめかみをハンマーで叩かれたような痛みが襲う。
このころには目の痛みがひどくて、本当に目をえぐりだせたらどんなに楽かといつも思う。
それから徐々に頭の上の方に痛みが移っていって、目が楽になって収束する。

視界に障害が出てから30分前後で症状が始まって、頭痛は大体半日〜丸一日続く。
吐き気が伴うこともよくある。
起き上がれるようになるまで二日は寝込み、さらに回復するようになるまでに1日かかる。
つまり計3日は何もできない。
最近海外では特効薬ができたらしいけど、日本の頭痛薬は弱すぎて話しにならないんだよね。
30分でどこかに退避できるときはして、できなかったら救急車も選択肢にいれてどうするか考える。
ほんと歩けなくなってしまうので。
ひどい偏頭痛もちの友達も、このまえ救急車呼んでた。普通に。

偏頭痛で寝てると、眠くなくても部屋を真っ暗にして横になってないといけないからいろんなことを考えてしまう。
しかもネガティブに。
つらいときはあまりいいことが考えられないね。
あと何人かの顔が何度も浮かんでは消えていった。
元気でやってるかなとか思いつつ。
そのうちの一人の友達を思い出して、がんばらなきゃと自分を励ましてた。
こんなのは大したことないんだと言い聞かせながら。

頭痛が一番激しくて、ほんの少しの光を見るだけで発狂しそうになっていた時、母がずっと横にいてくれた。
おかげで気持ちも随分楽だった。
家族は本当にありがたいね。
無条件に守ってくれる。  
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2004年08月15日

未来を創る

横浜に英連邦墓地というのがあるのを知っているだろうか
第二次大戦中に日本に集められて来た捕虜達が、過酷な労働の末亡くなり、埋葬されている場所だ

80歳を超える老人が戦後初めて来日した。
彼は戦時中に日本へ連れてこられ、戦争が終結するその日まで炭鉱で重労働を課されていた。
食事という食事は与えられず、劣悪な生活環境の中、仲間が栄養失調や赤痢で次々と死んでいく地獄を生き抜いた。
戦争が終わり日本を発つとき、二度とこの地を踏むものかと決意したそうだ。
彼の身体には今でも当時の傷が多く刻まれている。

彼は仲間が眠る横浜の英連邦墓地を訪ね、収容所後を訪ねた。
そして戦後50年以上経った今、「ようやく過去に区切りがつけられた」とつぶやいた。
また最後に

「共に語り合うことで、過去を乗り越えられたら、それはとても素晴らしいことだと思います。」

と静かに言った。
日本に強制的に連れてこられ、地獄を生き抜き、戦後50年以上苦しんだ彼が、日本で、言ったその言葉はとてつもなく重かった。

戦後賠償ももちろん必要なことだ。
だがお金でケリをつけるというのはある面とても安易な逃げだ。
誰も相手の顔を見ない。話もしない。
視線を落としながらごめんなさいといいお金を払う。

僕らにとって一番必要なのは過去をしっかりと見つめて、相手の目をしっかりと見て、戦争の当事者と語り合うことだ。
僕らは被害者でもあり加害者でもある。
日本が原爆を手にしていたら間違いなくアメリカに落としていただろうし、中国も日本と同じように虐殺行為をしていたかもしれない。

被害者同士で慰めあうのはとても簡単なことだ。
被害者が加害者と向き合うことはとても大変なことだ。
それでもいつかアメリカ人と原爆や沖縄での戦いの話を語り合い
中国人と南京大虐殺や731部隊の話を語り合うことができたなら
その時初めて何かが変わるんじゃないだろうか。
その対話は過去を洗う対話になり、未来を創る対話になるんじゃないだろうか。

人の歴史を円循環にするか、それとも螺旋にするか
それは僕ら次第だ。  
Posted by nao_hiko_ at 12:41Comments(0)TrackBack(0)

2004年08月13日

life goes on

21gという映画を知っているだろうか
その映画は絶望が随所に溢れている

恋人を失う絶望
家族を亡くす絶望
生きられない絶望
傷つけてしまう絶望
人を殺してしまう絶望

"but still life goes on"
そうした絶望の果てにあるその言葉はひどく重みがあった

life goes on
その言葉は果てなく続く闇にもなるし、絶望の果てにある光ともなる

人は選択することができる
絶望のうちに生きることも、希望のなかにいきることも
過去を清算するために生きることも、未来を創り出すために生きることも  
Posted by nao_hiko_ at 14:16Comments(2)TrackBack(0)

言語

今、ベルリッツに行って英会話してるんだが
ほんともどかしい!
なにがもどかしいって自分の頭の中で考えていることと口に出せることのギャップが非常に腹立たしい

日本語で話すとき、普段生活しているときと何かに取り組んでいるとき、頭のスピードが全然違う
だからぐる輪(グループワーク)をしていても、やっぱりスイッチが切り替わる
思っていることを出そうとすると自然に言葉が早くなる
圧倒的に早口になる
それでも言葉にならずにもどかしく感じることもあるくらいだ

英語は自分に身近でない分そのギャップがひどい
それでも少しずつ表現できるようにはなっている

より根本的には、そもそも言語が認識を規定するからだ。
brotherと兄弟は明確に違う。
日本には冬は一つの季節だが、アラスカでは冬はさらに多くの季節を含んでいる。
ある物に名前がなければその物を認識することさえも出来ない。

言語を新しく学ぶことは認識を変化させる
英語を学ぶことで英語で思考する人の世界が垣間見える
韓国語を学ぶことで韓国語で思考する人の認識が理解できる
アラビア語を学ぶことでアラビア語で思考する人の歴史が見える

言語はツールに過ぎないと言うが、想像以上に多くの意味を含んでいる。
認識が違うからこそ、表現方法を超えて使い分けるのも難しいんだ。  
Posted by nao_hiko_ at 00:03Comments(0)TrackBack(0)