2004年08月13日
言語
今、ベルリッツに行って英会話してるんだが
ほんともどかしい!
なにがもどかしいって自分の頭の中で考えていることと口に出せることのギャップが非常に腹立たしい
日本語で話すとき、普段生活しているときと何かに取り組んでいるとき、頭のスピードが全然違う
だからぐる輪(グループワーク)をしていても、やっぱりスイッチが切り替わる
思っていることを出そうとすると自然に言葉が早くなる
圧倒的に早口になる
それでも言葉にならずにもどかしく感じることもあるくらいだ
英語は自分に身近でない分そのギャップがひどい
それでも少しずつ表現できるようにはなっている
より根本的には、そもそも言語が認識を規定するからだ。
brotherと兄弟は明確に違う。
日本には冬は一つの季節だが、アラスカでは冬はさらに多くの季節を含んでいる。
ある物に名前がなければその物を認識することさえも出来ない。
言語を新しく学ぶことは認識を変化させる
英語を学ぶことで英語で思考する人の世界が垣間見える
韓国語を学ぶことで韓国語で思考する人の認識が理解できる
アラビア語を学ぶことでアラビア語で思考する人の歴史が見える
言語はツールに過ぎないと言うが、想像以上に多くの意味を含んでいる。
認識が違うからこそ、表現方法を超えて使い分けるのも難しいんだ。
ほんともどかしい!
なにがもどかしいって自分の頭の中で考えていることと口に出せることのギャップが非常に腹立たしい
日本語で話すとき、普段生活しているときと何かに取り組んでいるとき、頭のスピードが全然違う
だからぐる輪(グループワーク)をしていても、やっぱりスイッチが切り替わる
思っていることを出そうとすると自然に言葉が早くなる
圧倒的に早口になる
それでも言葉にならずにもどかしく感じることもあるくらいだ
英語は自分に身近でない分そのギャップがひどい
それでも少しずつ表現できるようにはなっている
より根本的には、そもそも言語が認識を規定するからだ。
brotherと兄弟は明確に違う。
日本には冬は一つの季節だが、アラスカでは冬はさらに多くの季節を含んでいる。
ある物に名前がなければその物を認識することさえも出来ない。
言語を新しく学ぶことは認識を変化させる
英語を学ぶことで英語で思考する人の世界が垣間見える
韓国語を学ぶことで韓国語で思考する人の認識が理解できる
アラビア語を学ぶことでアラビア語で思考する人の歴史が見える
言語はツールに過ぎないと言うが、想像以上に多くの意味を含んでいる。
認識が違うからこそ、表現方法を超えて使い分けるのも難しいんだ。
nao_hiko_ at 00:03│Comments(0)│TrackBack(0)