2004年11月24日

環境の産物

eryと医療制度や教育、政治の話をした。

そんな中で彼女は、
「ナオヒコとそういう話をするのっておもしろい。
昔、そういう話をする人が身近にいたんだけど、いつも”俺は深く考えててえらい”とか”周りはだめだ”って言ってた。
でいつも意見を求められるんだけど、言うたびに否定されてた。
話をするのが本当に怖かった。」
というような文脈のことをいった。

彼女によると、考えてることや、話している内容は共通点がかなり多いのだという。
だけど聞き手としてみると受ける印象が全く違うのだと。

始めは単にコミュニケーション能力の問題だと思ってた。
俺はいつも”伝える”ということに神経質なまでにこだわってる。
どうやったら相手に伝わるか、どうしたらもっとわかりやすく、直感的に伝わるか。
威圧的にならないか、感情的にならないか。
相手の見解が聞き出せるか、それを自分にとっての糧として受け入れられるか。
その結果として、噛み砕いた表現だとか、やわらかい雰囲気だとかが出るんだと。
その辺が違うんだろうなって。

でももう少し突っ込んでいくとちょっと違うことがわかった。

まず彼の家族は、俺の家族と全然違う。
彼の家では母と子が一緒に家にいても、必ずしもご飯を一緒に食べない。
お互いが食べたいときに食べる。
息子が帰ってきても特別なことがない限り会話はしない。
父親は家から1時間もかからないところに勤めているのに、会社の近くの寮に入っていて家には帰らない。
それでいて家族間で仲が悪いわけではない。
お互いを尊重しているし、好きでいる。
ただそういうStyleなんだ。

うちだったら親子が一緒にいて、一緒に食事をとらないということはありえない。
そんなことが起こるなんてよっぽどの非常事態だ。(口をきかなくなるくらい喧嘩をしたときとか。)
家に帰ってきたらまず母と会話する。
リビングに座り、今日一日あったことを話す。
なにか考えるところがあればそれも話す。
彼女はそれに対して自分の見解を述べる。ぶつかることも恐れずに。
父は夜は遅いが家に帰ってくる。
そして帰ってくるとこっちにお構いなくいろんなことを話す。
母ともよくいろんな会話をしている。
母は父の単身赴任なんて認めないのでわざわざ発展途上国までついて行ってる。

そして、俺は大学で多くのグループワークをやってきた。
その中で思っていることを言い、考えてることをしゃべり、議論が熱くなってぶつかることも多々。
ただその多くの経験の中を経て、そうしたカオスの中からこそ価値のあるものが生まれるということを知った。
その価値あるものは自分が持っていた考えより何倍も素晴らしいものだし、一人では逆立ちしても出てこなかったものだ。
だから俺は人の意見が聞きたい。
違った見方を吸収したい。
自分の意見はいろいろ考えた末にあるが、自分自身がその意見を一番信用していない。
とても移ろいやすいものだと自覚しているし、もっと深くでかい考えを求めてる。
それは俺がもともとそういう人間なわけではなくて、今までの環境から学んだ経験知だ。

ここからは仮定だけど、
もしかしたら彼はそういう経験をしてこなかったのかもしれない。
環境にもよるけど、普通の大学でそこまで誰かと一つのことを議論し続けて新しいことを作り上げる経験をすることはない。
通常は個人で講義を受け、個人で研究をする。
少なくとも8人で200時間以上議論を続けるような経験をできることはなかなかないだろう。
普通の会話では衝突することを避けるしね。
友達の意見に対して、普通の反応は同意か流しだろう。
だから彼が友達に話す話は常に指示され続けていたんじゃないか。
だから彼は人の意見をつぶしにかかるんじゃないか。

だから俺と彼の表現やコミュニケーションの方法が違ったとして、それに関してすごいとかえらいとか、そんなことは米粒ほども言えない。
俺は彼だ。彼は俺だ。
少なくとも俺が彼と同じような家庭や環境で育っていたら、彼のように尖っていたかもしれない。
彼も俺のような環境で育っていたらもっと優しくなっていたかもしれない。

人生なんかほんのちょっとの機会で簡単に変わる。
何かのいたずらで、俺は海外で育っていたかもしれない。
親父は家に帰らなかったかもしれない。
母は人の話を聞かなかったかもしれない。
大学では誰かと真剣に議論するような環境がなかったかもしれない。
自分を心から受け入れてくれる人に出会わなかったかもしれない。
それらはどれも起こりえることだし、そのどれかが起これば今の自分とは全く違う自分が今生きているんだと思う。
俺は、今まで生きてきた22年間の環境の結果として、ここにいる。

今ままでの人生に後悔はないし、幸せだと思う。
そのことに対して、自分の力に依るところなんて小指のつめの先くらいしかないんじゃないか。
だから今自分が幸福だと思うなら、そのことをもっと回りに感謝しなきゃいけないだなと思った。

自分はいろんなヒトに、モノに、コトに支えられて生きている。
俺は俺の人生という環境が生み出した産物に過ぎない。

そんなことを自覚した夜だった。

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